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小説 彼のための世界#58 |
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鯨 |
5/25 22:41 |
「君、好きな生き物は何かな?」
青年に問われて、めいは困惑する。
「え、えーと…」
ふと、幼い頃の記憶が蘇った。そこはフェリーの上だった。隣には父が、めいの肩に手を置いて、海を眺めながら立っている。突然、遠くの海面が盛り上がった。フェリーに乗っている人々が一斉にそちらを向く。海面から黒い何かが飛び出してきた。それは先端で二股に分かれていた。鯨の尾びれだ。尾びれは水飛沫をとばしながら、まるでこちらの存在を意識しているかのように、うねり、舞った。やがて海中に姿を消し、少し遅れて人々の歓声があがった。この時、めいは鯨に対して奇妙な感情を抱いた。畏怖に似たそれは、今でも彼女の心に残っている。そのため気づいたら
「…鯨」
と答えていた。
「鯨?そんな生き物がいるのか。じゃあ僕の名前は鯨だ」
「え?」
「好きな生き物なんだろ。親しみやすいじゃないか」
青年は両手を広げて言った。