この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後誰にもこの話は語らず、心の奥底へとしまい込んだ。日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は戦乱の世を憂い、枕元に孫たちを呼び寄せて切々とこの話を語ったという。
この孫の中の一人が私である。当時は気づかなかったが、祖父が亡くなった後にわかったことがあった。何の関係もないと思われた南村の者が、隣村の民全員を牛追いの祭りと称して狩り食らったのは真実である。そうでなければ、全員の骨を誰が埋められるものか…。
それゆえ、牛の首の話は繰り返されてはならないことだが、話されてもならないことであり、「呪い」の言葉がつくようになった。誰の口にも上らず、内容もわからないはずであるが、多くの人々が「牛の首」の話を知っている。物事の本質をついた話は、それ自体に魂が宿り、広く人の間に広まっていくものなのではないだろうか。
END